いまはここにいる

わたしはわたし

ほゲーー

自分を愛する事が幸せになる方法だと思います

思い込みや、虚勢で盲信するのでなく、本当の自分を知る、足るを知って、ありのままを受け入れる

人間だから、至らない所どこかあるし、人にはわからないようなコンプレックスが外面や内面にあるかもしれない

だけどそれを人と比べてはダメだよ

世間の言いなりになるのもダメ

人より自分が優位だからって、気分良くなっても、さらに自分より優れた人が現れたらどうするの

それだけでもショックなのに、普段人を見下す癖がついていたら、自分も見下されていると思い込んで悲しかったり腹立たしかったり、平静ではいられなくなってしまうよ

逆に、いつも人より自分は劣ってると思い込むのもいけない

その優劣の基準を定めてるのは本当は自分なのに、その自分の基準で自分を縛り付けるのは自縄自縛だ

人から何か言われても、その人の基準ではそうだっただけで、それが世界の真理なんかじゃない

幸せは心のあり方だよ

穏やかに、ハッピーに生きた方が楽なんだから。

わざわざ腹を立てて問題事抱え込まなくても生きていけるよ

あなたはあなたの幸せを求めていいんだよ

妬みや僻みは心を不安定にする

そんなに不安にならなくても、あなたはあなた。

世界で1人だけの自分の人生の主人公なんだから。

ここまで書いてもわからない人が多そう

金とか権力とか持ち腐れたところでマイナスの感情いっぱいの心でどう幸せに生きるのだ

それらがなくとも心が穏やかなだけで世界を愛せる。世界に必要とされることができる

自分がよければそれでいいっていう意味じゃない

慈悲と慈愛の心が無くては自分は愛せないのだから

 

ほんとに話合わない人多くてこまるわ

 

 

人の言動を気にする人は、自分がどう思われてるかも気にしてる

常識とか普通に拘って人に良く思われたいとしてる

自分らしくない

不幸

 

他人の不幸は願わない

あいつそのうち痛い目見ればいいんだ

じゃなくて、

彼の人生は苦難に満ちるかもしれないが、神はそれを見守ってくださるだろう

としておく

神、便利、ありがたや

わたしが見届けるまでもなく、神様が彼の受ける苦しみを見届けてくださいます

彼は1人ではないのです

彼が救いようのない悪人であっても、誰からも見放されても、神様だけは、彼を愛してくれます

なのでわたしは彼を気にかけなくてもよいのです

ほっておいても、関わり持たなくても、彼は大丈夫。

 

深夜のラリ文

多くの人間がこのようにできたらいいのにね、人は自らを不幸な道に引きずり込むような生き方をしている

汚い感情はスポーツや芸術で昇華しなよ

生きる事は表現する事

わたしは生きてるって