いまはここにいる

わたしはわたし

かわいそう

レベルの低い人をかわいそうだと思うが故に対等で在ろうとしてきた

基本的にかわいそうと言う言葉を

自分より不幸な立場の人に投げかける見下す意味で捉えていたから


子供も、色々と一生懸命で必死な人も、私より劣っている部分があるのを知っていた

でも見下しちゃいけないと思ってた

自分はかわいそうだなんておもわれたくないから

でも、真っ向から向かい合っても魚と鳥ぐらいに違うから徒労だった

私はそのレベルの差を埋めようと、気づかないふりをしていた

人を見下しちゃいけない

命に優劣はない

人の中で差を付ける人がどうして動物と自然を愛せようか

とまで考えてた


だから、同じレベルに落として対処し、ぶつかることもあった

でもね、そこはちゃんと素直に表現する事にした

人を、生き物を見下したくないと強く思ってる時点で私は誰も見下してない

頭の残念な方々を見て、

なんで?どうして?

もっと楽でいい方法があるのに

と思う事が多くて見下しとは違う

なぜ?の気持ちをかわいそうだと思ってた



学問や技術と違って教えてあげるのが優しさでない場合の事についてだから、何も言わずやらせてあげるのが愛する事で、優しさかなと思った

そうすれは摩擦も減るし、棲み分けも出来るから今までの失敗はしなくてよさそう

自分のためにも、かわいそう を正しく使って生きやすく。