いまはここにいる

わたしはわたし

いい感じに

爛れた生活送ってる
思春期に馳せた自由な生活は完遂されつつある
何にも囚われる事を辞めたら食べ吐きしか残らないけど望んだ結末なら文句は無いです
私を生々しい性欲の対象として見られると、毛皮のコート目当てで狩り殺される狐のような気持ちになります
体目当てでしょ!と言えないのです
私の体に価値あるとは思ってないし誰でも備わっている毛皮、あるいは適齢の雌としての肉体に寄せる感心にただ驚きます
肉体を欲されると私という人格に用はないのかと思います
ま◯このついたお股が必要ならば私である必要性は無いです
性欲が社会動かしてるらしいですがそのどちらも他人事過ぎて俗世間離れしてる気持ちになれます
幸いな事にそういう意味で嫌な目に合うことは少ないのが喪女の極みですね
愛とか恋とかいつになってもフィクションの域を出ない
一人でも大丈夫、じゃない
でも二人いるから大丈夫でもないの
生活感、あっても当事者の気がしない
自分の生活ごと当事者の気がしない
金と食い物、お布団とご飯があればいいのって結論づけた帰り道
さあ私はどこへってこっこが歌ってた
だって例えば私がいなくなる時には一緒にいなくなってなど言えるはずないって鬼束ちひろが歌ってた
誰もいない一人で私は現実と生きる
私かどうか定かでない私を引きずって日々を消費する
46,25

いつまで娘みたいな事言ってんのって言われても私は夢見る少女だし咎める奴もいない、のでこじらせて行きます、絶好調で