いまはここにいる

わたしはわたし

ハハハ

朝見た情報番組で放送されたアメリカのスーパーボウルビヨンセのパフォーマンスが気になって、調べたら行き当たりました

フェミニズム

マドンナも、ニッキーも、ガガも。

それぞれ主張していた。

個人的にはニッキーの発言に最も親近感を覚えた

セクシーな格好をするとテンション上がる。エロくしてるつもりは無い。的な

その表現を受け取る側の人間の捉え方にかかってるよね

間違ったイメージ持たれて勘違いされても???だよね

 

端的にセンセーショナルに申し上げると

男に媚びることを強いられてきた

そんな暗黙の風潮に晒されて生きてきた

 

女らしい服装したり、長い髪を巻いたり、化粧をしたりする理由として他人に言われがちなこと、

男モテる為でしょ

って

そういう人も居るのかもね

でも私は自分の楽しみの為に自分を飾り付けてたんだよ

私の為にお洒落したんだよ

まさか、そんなふうに言う人が居るのが驚きだった

単に身繕いするだけで目的はそんなに飛躍してんのか皆様

 

男に評価されるため、男の目を気にする女のために生きてるんじゃない

女である以前に個性を持った人間のわたしとして生きてるんだ

それが当たり前だと思ってたけど違うんだね

でもわたしはわたしだから、そう生きるよ

 

自分は特別じゃない。普通だ。

って思おうとしていた

思い上がるな凡人

とまで思ってた

でもわたしはやっぱり特別だった

誰にとっても自分自身は特別(special)で

当たり前。

特別じゃないから、普通に生きようとしてきてた

だから爪弾きにされたりする度に辛かった

でもわたし、特別だから普通にしようとする方が不自然だったわ

だって多数の人と違う少数派の意見を唱える事が多かったし、何より話が合わなかった

だから悪いって訳じゃない

それが大切な個性。

 

大好きだった鬼束ちひろAngelinaって曲の歌詞で、

この空白は私だけのもの

孤独や痛みに耐えるため

私が愛さなければ誰がそれを愛するの

って言うのがあってね、

当時の自分は、

こんな私を誰も愛してはくれないのだから、せめて悲しんだり痛がったりする自分を愛して守ってあげなければ

と理解して自分を奮い立たせてた

でも今は

守ってあげるんじゃなく、弱い自分も認めて見つめ直す

そしてそれらと共に生きる

それが自分を愛する事だと思った

と考える

弱いのも私

過去の過ちも私

だけどそれは私の思いの中にしか無くて、傷口をほじくってたのは自分だったの

傷跡は傷跡で、そこにあるだけのもの

それをわざわざいじって生傷に戻すような作業はいらない

 

マイブーム、仏教フェミニズム

まず話し合う人いないでしょうね

 

今は友達が、後ろにいてはやくこっちに来て欲しい気持ち

かわいそう は見下しじゃなくて、

相手の立場に自分を置き換えてそれを客観的に見た感想

自己評価低いのと謙遜は違う

自分を受け入れるのと自己愛は違う

愛してるからこそ、時に厳しくしなければいけないときもある

良薬口に苦しを自分で体現できるか